ココロとカラダ

透明性の錯覚 〜 他人は自分ほど自分には関心がない

透明性の錯覚 〜 他人はそれほど自分に関心がない

自分の考えや感情が、実際以上に他者に伝わっていると錯覚してしまう傾向を、心理学では「透明性の錯覚」といいます。
つまり、自分で思っているほど他人には伝わっていないよ、ということです。

人は、自分を中心にあらゆる物事を考えがち。
自分の考えや感情は、自分では分かりすぎる程分かっているので、他人にもそれが伝わっているはずと思い込んでしまうのは、ある意味仕方がないことです。

緊張や恥ずかしさ、嘘など、バレバレだろうなーと思っていても、「実は…」って伝えてみると、「え?そうなの?」と返されることって、ありますからね。
ホッとするというか、僕のことをもっとちゃんと見ててよ!って寂しく感じたりして(笑)

まぁ、感情はちょっとした表情や声のトーンに出ることから、いつも一緒にいる身近で勘の鋭い人には、わかっちゃうもんですけどね。
それでも頭の中にある考えていることや思っていることまでは、けっこう伝わっていないものです。

今回は「透明性の錯覚」について考えてみましょう。

他人を理解するのは難しい

透明性の錯覚 〜 他人はそれほど自分に関心がない

現実は、自分が思っているほど、他人は自分に関心を持っているわけじゃない、と過去さまざまな実験で立証されています。

自分のことをわかってもらえない!とイラっとくる前に、他人をきちんと理解しようとすると、簡単じゃないってことがわかります。
どうしたって、まずは自分の心を手掛かりに、相手のことを推測するしかありません。
どんなにその人のことを理解しているつもりでも、結局は自分という基準からの投影になってしまうのです。

他人から何か批判的なことを言われた場合、「的がちょっと外れてる」と感じることありませんか。
つまりは、それを言ってきた人の内面がそうなっているということで、「あなたはそうなのね」と人の心を垣間見た気分になってしまいます。
結局、他人のことを他人の思考をもって理解するのは難しいのです。
自分のことしか興味のない人は、他人思考での理解は困難極まりないでしょうね。

心の動きのパターンを統計立てた心理学の知識を総動員して、他人の思考を正確に把握できる人もいるでしょう。たとえば詐欺師や、犬神家を訪れた名探偵さんなど。
でもふつうに接する程度なら、他人からそれほど注意深く、関心をもたれることはないってことです。

逆に、自分のことを的確に理解している他人が現れたとしたら、「目的はなに?」と問いただしたほうがいいかもしれません。

「わたし」は「あなた」ではない

透明性の錯覚 〜 他人はそれほど自分に関心がない

夫婦や恋人同士のような近しい間柄だと、つい「言わずともわかっているだろう」と勝手に思い込んでしまうことがあります。
前回のパターンと同じだから以下省略、と自己完結してしまい、いちいち伝えないことが増えているかもしれません。

実はそれ、伝わっていないかもしれません。

人の内面をすべてお見通ししてしまう妖怪「サトリ」じゃないのだし、相手には相手の心のバイアスというフィルターが実際にはかかっているのだから。

「透明性の錯覚」の「透明性」というのは、自分の考えていることや感情を強烈に意識してしまうことで、遮るものなく他人にバレバレなのだろうと思ってしまうこと。
それは思い込みである、と定義されてはいますが、「嫌い・苦手」というネガティブ感情は、けっこう伝わってしまいがち。「好き」は伝わりにくいのにね。

人は意識していることの他に、多くの無意識によって生きています。
意識はしてないけれど、無意識がなにか違和感をキャッチしているのでしょうね。

他人はそれほど自分に関心がない

透明性の錯覚 〜 他人はそれほど自分に関心がない

今を生きる人は自分のことで精一杯。

それでも社会生活を送るうえで、他人と一緒に特定の時間を共有する必要はあります。
他人から自分はどう思われているか、大なり小なり気になって仕方ないという人はいます。

とくに自意識が強い人は、なにか気にかかることがあると、自分が原因だと結びつけて、ネガティブ思考に陥る傾向があります。
「あの人は自分を見下しているにちがいない」「視線を合わせてくれないのは自分が見劣りしているから?」
それはたまたま意見が異なっていたり、相手の機嫌が悪いタイミングで話しかけた結果かもしれないのに。
(自分が自分に関心があるように)相手はいつも自分に相当な関心を払っているという思い込みが前提にあると、そう思ってしまうかもしれないですね。

他人は自分ほど私には関心がないと認めることで、もっと楽に生きられるのでは?と書かれている「透明性の錯覚」関連の記事もあります。
実は、パーソナリティにもっと複雑なものが潜んでいる可能性もありそうですけど。

特定の他人の関心ではなく、広く他人の目を意識することで、身だしなみや言動がブラッシュアップされていく効果はありますよね。

もっと丁寧に伝えていかないと

「透明性の錯覚」というものが実証されており、自分が思っているよりも、感情や思考は他人には伝わりにくいということがわかりました。
前提として、他人はそれほど私に関心を持っていないのだということも。

そのことから、伝わってるつもりになっていないか?と自分を振り返ってみることが必要ですね。

もうひとつ注意すべきと思ったのは、伝わりにくいけれど、まったく伝わっていないわけでもないということ。
部分的に伝わっている状態というのは、誤解につながりがち。
丁寧な伝え方を意識していかないとな、と思った次第です。
仕事のプレゼンや打ち合わせ、家族との会話、そしてメールの文面などでね。

ABOUT ME
二ゴ
うつ病になったのは10年前。それから復職、再発の休職を繰り返し、気づけばもう50代。元の自分に戻るのではなく、別の新しい自分にならなきゃともがいて生きてる最中。同じようにシンドイ思いをして生きてる人にむけて、情報共有できればとこのサイトを始めました。あなたは一人じゃないよ♪