普段西暦ばかり使っていて、たまたま平成表記が必要な書類に出くわすと、いちいちアプリで平成何年かを調べてしまう私です。
元号に馴染みの薄い私であっても、まもなく平成が終わるとなると、自分の全盛期とうつになっての転落人生は、平成という時代を生きてきたんだなぁと思うにいたります。
漠然と、もうちょっと上昇した位置にいるじゃないかと期待してたんだけどなぁ。
うつでどんよりしたまま時代の変わり目を迎えるなんてね(笑)
そんなマクラから、今日はこのブログをはじめるに至った気持ちを、書いていきますね。
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元号の変わり目に思う、夏目漱石「こころ」
元号が変わる、時代の変わり目というと、夏目漱石「こころ」のラストを思い出しちゃいます。
「先生」が自死した理由について、遺書には「明治の精神に殉死」と書かれていました。
文明開化からはじまり、和と洋が急激にまざりあいながらも、封建主義的な日本人の心のありかたがまだ存在していた明治という時代。
天皇のご崩御と、忠義から自害した乃木大将の死によって1つの時代の終わりが訪れた時、「先生」は次の新しい時代には身を置かず、自分の生きた明治とともに自分の中のさまざまな葛藤にピリオドを打つことを決意します。
小説に影響を受けてというほど大げさではないのですが、平成という時代に身を置いてきた自分には、次の時代をどう生きていくべきかの選択を迫られているように感じます。
無限の可能性を秘めた若者ではなく、すでにいい年こいたおっさんが、うつでもがいている状態から、どう生き直していくのか。
自分が時代にあわせて変わっていくのだろうとは思います。
インターネットだって、スマートフォンだって、平成のはじめにはありませんでした。
加齢によって、変化に対応できるキャパが残り少ない不安はありますが、自分の人生にピリオドを打てないのであれば、うつになりやすい自分の考え癖、価値観をまず見直して、生きていかねばならないと考えたのです。
この時代の変わり目に何をしていたか残すために
時代の代わりめ、自分は何をしていたかを記録しておきたいと思いました。
長く生きてはきましたが、自分に対する自信の欠如、将来への不安は、新社会人の方々とたいして変わらないじゃないかな。
残りが少ないキャパで、自分はどう変わっていけるのだろう。変わらなきゃいけない時、なにを試みたのだろう。
そこで、ブログをはじめてみようと。
世の中に公開して、更新を続けていかなくてはいけない環境であれば、もやっとした思いを言語化していくことができます。言葉にすることで、鈍化した脳をリハビリさせることができるかもという期待もありました。
時代の代わりめ、自分は何をしていたか。
うつ症状でもがきながら仕事を続けています。
うつをテーマにブログを作るとして、アクセスされた方に、なにを持ち帰ってもらえるだろう?
うつで苦しんでいる方を対象にするなら、うつを克服した人の成功例を提供すべきだよなとは思います。
でも書いている人間は、うつのまっただなか。休職、回復、復職、再発の経験の延長で、まだ克服にはいたっていません。
こうなれたらいいなぁという希望を提示できないのです。
うつでもただで起きない精神
自分の価値はどこまで下なんだ…と頭を抱えていた時、ふと次のフレーズが思い浮かんだのです。
うつでもタダでは起きない精神
転んでもタダでは起きないの言い換えですけど。
たとえ失敗した場合でもそこから何かを得ようとする心意気。
うつのただ中にいるからこそ書けることがあるんじゃないのか。
同じことを書いたとしても、克服したあと振り返って書くのではなく、いまリアルに感じていること、人から言ってもらいたいことを書いていったら、それはそれで同じ状況の人に寄り添えるんじゃないか。そういう考え方ができるようになりました。
うつで苦しんでいる人のために、自分ができることなんてほんの些細なことです。
医療の専門家ではないし、等身大のことしか書けない。
それに、こんな状態の時に、かけて欲しい言葉や考え方というのもある。
自分の求めていることを、整理して勉強しなおして記事にしていきます。
やがて文章のスタイルやテーマが変わるかもしれません。
変化が訪れれば、それはラッキーなことです。
時代を把握するとき、時が経ってからでないとわからないことがあるように、継続していけば何かがわかるかもしれないと期待しています。
どうぞよろしくお願いいたします。