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人生のピークを過ぎても人生は続く

人生のピークを過ぎても人生は続く

最近ね、よく思うことがあるんですよ。
自分の人生のピークって、あの頃だったのかなぁ、なんて。
Webサイト制作を業務にしていこうと社内で旗揚げしてから、いろんな上昇運が重なって、1年ほどでチームとして社内に認められるようになった頃。
いや、その後に体験したさまざまなプロジェクトで成果をだせた時だったかな。
30代で体力もあったし、自分になにができるかっていう期待も持っていた。

自分に期待?
うつになる前となった後で、自分に対する認識が大きく変わってしまいました。自分に期待だなんて今ではもう…
それを思うと、うつになる直前が人生のピークだったのかな。
たとえそうだとしても、ピークを過ぎても人生は続きます。

今回は人生のピークについて考えてみました。

人生のピーク=一花咲かせること

人生のピークを過ぎても人生は続く

人生にはピークがあるよね。
そんな問いかけに対して、以前自分はこんな風に言い返してましたっけ。

「どんなアーティストだって、永久にベスト10内にいつづけることはできないじゃないか。チャートインしないでも活躍できる方法を見つけるべきなんじゃないかな。」

自分ごとならウダウダ考えるだろうに、他人に対してはスラッとそれっぽいポジティブなことを言えちゃう自分。
人生でもっとも輝いていた時期、もっとも勢いがあった時期、評価や結果、影響力を出せていた時期、その頂点が過ぎたあと、下り坂の人生が続きます。なかには、別の価値基準で、何度もまた頂点が訪れる人がいるでしょうけれど。

頂点にいる間、幸福度もMAXだったのか、と考えると、必ずしもイコールではない気がします。ただただ忙しかった、期待に応えるプレッシャーがあった、自分の経験からなんとなくそんな記憶が蘇ってきます。それでも上昇気流にのっている高揚感を味わったのは確かでした。

なんにせよ、ピークは過ぎてからでないとそれがピークであったことには気が付きませんよね。

ピークを過ぎたことにいつ頃気づくんだろう。
収入や記録を基準にすれば、自ずと数字で表せるけど、勢いということでいえば、できていたことができなくなってきたのに気がついた時かな。
きっかけは、多くは加齢、病気や怪我、または環境や人間関係の変化などですか。

そこからの再起は、相当がんばる必要があると誰もが思っているので、武勇伝として人々の興味をひくことになります。

たぶん多くの人は、「もう一花咲かせる」と願いつつ、下り坂か平行線の人生を送ることになるんでしょう。
「一花咲かせる」の英語が、ピークとは何?を直球で言い表していてわかりやすいです。
「To make a name in the world / to create a sensation」
そんなパワーが必要なこと、もう無理、って年をとると諦めちゃうんですよね。
若い人に希望を託していくことになる。やってくれそうな若い人のサポートにまわる。
ピークにいる人は、人を引きつけるし、流れを作り出すから、他人のピークに乗ることでも、自分のピークを迎えることは可能ですね。

人生のピークを過ぎても、人生は続く

人生のピークを過ぎても人生は続く

子供が成長し、手を離れたことで、もう一度自分の人生を生きなおしたいと考えている中高年は多いです。
若かった頃夢中になった趣味を再びはじめたり、自分の本当にやりたかったことはなんだったんだろう?と考えて、第二の人生をスタートさせたり。

人生100年時代と言われています。
「サザエさん」の磯野波平さんは54歳。定年55歳時代の設定で、定年間際のおじさんの代表格的キャラだったのでしょう。今の54歳は、もうちょっと若い印象です。そして政府は75歳までは現役で働けと言っています。

体力・気力が否応なく落ちてくる50代で、現役引退して余生を送ることができず、これからさらに倍近い人生を送るために働くことになる生き方の模範を、過去に求めても仕方ないってことなんだろうと思います。
とにかく今の時代を生きぬけ!ですか…

思えば、自分の人生に勢いがあった頃って、過去にはまったく興味がなく、先のことしか考えていませんでした。つまり自分に期待できてたってことですね。まだ可能性であったり、伸びしろがあると信じていた。

そもそも自分のピークはいつだったっけ?なんて考えること自体、ピークを過ぎた人間のセンチメンタリズムなんでしょう。
自分にはまだピークなんて若さ以外なにも起きていない!と考えれば、この先のピークのために、なにか頑張れるかもしれません。

人生のピークを遅らせる、否定する

人生のピークを過ぎても人生は続く

人生のピークを遅い年齢に設定する。
そんな考え方があります。そのまんま東さんは60歳に設定と本に書いていますし、多くの広告を手がける、さとなお(佐藤尚之)さんは80歳にもっていくことをネットに書いています

長い人生を俯瞰してみた場合、ちょっとしたピークの時期にわざと少しペースを落とし、調子にのらず平坦にして、ピークを後ろにずらしていくという考え方です。
人生の早い時期にピークを迎えちゃうと、そのあとずっと下り坂っていうのは辛くないか?
それは誰しも思うことですよね。
でも人生のピークはそんなに何度も来るものではないし、意図的に遅くしていくには、まだ先にピークを迎えられるだけの余力があると信じて生きていないと、そんな勇気は持てないとも思います。

いや、ピークの考え方が変わってくるのかもしれないな、60や80になっていくと。

勢いがあって、影響力があって、能力が最大限に発揮されて、という若い頃のピークの考え方と違って、人生でもっとも穏やかで安定した時期、自分に正直に生きている時期、という自分軸の達成感がもっとも高くなるっていうのが、その年齢だとしたら。
あぁ、そういう考え方はありかもね。

あともうひとつ考えたのは、ピークの否定という境地もあるかなって。
採点競技にある、審査員たちの出した評価値から、最高点と最低点をカットして、残りの数値の平均をとるという考え方。
平均値を出すとき、極端に飛び抜けた数値を除外するというのは、データ分析でよく行われます。
それを長い人生にあてはめると、極端な数値(ピーク)を除外して平均をとれば、そんな悪い人生じゃなかったって思えるのかもしれません。

そのためにはピーク以外の数値をできるだけ高くしておく、積み重ねの日々の幸福感が大切になると思います。

うつになる前がピークだと思っていたけれど

最初のほうで、うつになる前までは、上昇気流にのって自分が認識する人生のピーク期間だったかもという考えですけど、はたして本当に?という疑問もありました。
たんに勘違いだったのかも。自分が持っているいろんな問題にただ気づいていなかっただけなのかもって。

うつになってよかった、とはまったく思いません。できれば、ならずにいろいろ気づいて生きていければよかったです。
それでも、もしうつになっていなかったら、すごくエゴイストになっていたかもしれない、とは思います。相方さんとの生活を顧みずに仕事に没頭する人生だったかもしれません。

うつになる前の自分の輝きを取り戻したくて、ついついもがいてしまいます。
仕事上での周囲の人間も、あの頃の自分に戻るのを期待しているのかもしれません。
でも、違う人間として生きなおさないといけない、というのをやっとここ数年で気が付きました。
こんな自分には何ができるのだろう?自分に期待というよりも、模索がはじまっています。

このブログは、ある意味その模索の経過途中報告です。
今はまだ先のことは見えませんが、積み重ねた先になにかご褒美があればいいな、自分にとっても、同じようにうつで働いている人にとっても、って。


P.S.
江戸時代、正確な日本地図を作成するという偉業を成し遂げた伊能忠敬は、55歳を過ぎてから地図づくりを始めたのを思うたび、勝手に勇気をもらえます。江戸時代の55歳、いまだとどれくらいの年齢にあたるのだろう。すごい!

ABOUT ME
二ゴ
うつ病になったのは10年前。それから復職、再発の休職を繰り返し、気づけばもう50代。元の自分に戻るのではなく、別の新しい自分にならなきゃともがいて生きてる最中ですけど、同じようにシンドイ思いをして生きてる人にむけて、少しでも励みになりたいとブログを始めました。