人に対しては「こうしてみてはどう?」とサラッと建設的なことが言えるのに、自分のことになると思い悩んでなかなか決められない。
他人と自分事とは違うんだ。となると、いくら建設的な言葉だとしても、相手にとってはありがた迷惑なだけなのかもしれない。他人事だから気軽に言えるんだ、としか思われないのかもしれない。
たしかにそういう場合はあるでしょう。
それでも自分の中でぐるぐる考えが凝り固まってしまっている時、他人からの言葉が、なにかしら前向きになるヒントになることもあるし、支えになることはあります。
見て見ぬふりをされるよりも、気にかけてくれていることが嬉しいってこともあります。
本当はなにで悩んでいるのかわからなくなるほど、余計なことがまとわりついてることに気づかされることもあります。
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経験があれば共感できるけど
自分も同じ経験をしたのなら、自然と共感が湧きますよね。
自分の経験がなくとも、映画や小説、漫画などで、同じような経験をした人の心情にシンクロできたなら、それは疑似体験となるのだと思います。
私は映画が好きです。
いろんな人がいる、壮絶な人生を送った人がいる、というのを映画から学びました。
若い頃は、自分に人生経験はなくとも、映画による疑似体験でいろんな人に寄り添えると思っていました。とくにマニアックな趣味だったり、世の中から疎外感を抱いているような人に対して。
でも、年齢を重ねて思い知りました。
疑似体験は、所詮、他人事だったんだなぁって。思い上がってたなぁって。
心理療法士など心理学の専門家が言うことに、他人が何を考えているかはわからないというものがあります。自らの口で語ったことや行動から見えることはあっても、本当のところはわからない。
他人の思っていることは、どうあっても自分を拠り所にして想像するしかないんです。
すべてお見通しのような口ぶりで「わかる」と共感されると、「わかったような口きくな!」と言い返したくなるようなことってありますよね。
わかってほしいんじゃなくて、そのまんまを受け入れてほしいんです。
困った状況の自分に同化されても、前にも後にも進めないし、カウンセリングなどは、その距離感があってこそ成立するんだろうな。
人生の苦境を面白がれるか
15年ほど前、深夜に「エアマスター」という女子高校生のストリートファイトものアニメをオンエアしてました。
原作はたくさんの名セリフでファンの多い作品ですが、私はアニメのほうで、ビビっとくるセリフに出会ったのです。
主人公に戦いを挑むキャラの1人、崎山香織。
自分がなにかにビビっているのがなにより許せない崎山香織。
「あ゛〜〜!怒りでなんか・・・デビルマンに変身しそう」
このセリフのセンスに、何気なく観ていた深夜アニメが、急に輝きを帯びてきたのです。
「この崎山香織の人生はいつも突然何かが起きるようにできてるのサ」
「運命が時々!私に突然の贈り物をくれるんだァ!
エアマスターもそうだ!
運命から私への贈り物!私の人生の味付け!」
このリミッターを振り切ったポジティブなセリフに、当時仕事で思い悩むことの多かった私は「そういう考え方もあるのか」と教えられたのです。
苦境を呪うのではなく、私の人生を面白くさせてくれるために、運命が用意してくれたミッションなんだ!という考え方。
映画も小説も、主人公が幾多の苦境を乗り越えていくことでドラマチックになります。
他人事ならば、そのほうが作品として充実していて楽しい。
でもそれが自分事になったらばどうする?
本当は安定した、アップダウンの少ない日々のほうがいい。それでも起こるさまざまな苦境。それを人生の味付けと解釈して受け入れることができるか。
なかなか難しいことです。
でも「人生の味付け」と考えることで、無理やりだけど前向きになれそうな気もします。
笑っちゃうほど、どん底。と言って、ほんとに面白がれるかな。
気持ちに大きな余裕が必要ではありますが、その心意気に近づけたらいいなーと思っています。
「風と共に去りぬ」の名セリフ
人生アップダウンの連続というと、大河ドラマの香りがします。
一昔前まで歴代映画ランキングの上位に必ず入っていた作品「風と共に去りぬ」は、美しく気が強い女性スカーレット・オハラの人生アップダウンを描いたものです。
第二次大戦後、この作品が日本に入ってきた時、戦時中にこんな極彩色の大河ドラマが作れるアメリカに勝てるわけなかった…、と思った人が映画人ばかりでなく一般の観客にも多かったそうです。
この作品が名作とされているのは、大河ドラマのようなストーリーとヴィヴィアン・リーの美しさが、映画的魅力に溢れているからなのですが、それだけではありません。
長い原作を映画化する際のひとつの手法ではあるのですが、登場人物がなにをどう思っているか、ぜんぶセリフで言ってくれるんです。映像読解力や深読みをする必要がないんです。
つまりは、誰が観ても同じようにストーリーを理解できる点が、高い評価につながったのだと思います。
なにもかも失って絶望のどん底にあるスカーレット・オハラが、ラストに言う名セリフ。
「明日には明日の風が吹くわ」(Tomorrow is another day)
たとえ今日は最悪でも、明日も同じように最悪とは限らない。違った展開が待っているかもしれない。
そんなスーパーポジティブな考え方に、多くの人が救われたと語っています。
映画少年だった私も、このセリフに救われたことが多々あります。
今だったら、予期不安に襲われた時、想像で不安を勝手に大きくするのではなく、実際に物事が起こってから対処していけばいい、と考えることにつながります。
ところで、「明日には明日の風が吹く」というフレーズは、だんだんと「風と共に去りぬ」での意味合いとは違って用いられるようになりました。
「成り行き任せにいこう」「刹那的に生きる」という意味合いです。
他人事へのアドバイスからより自分事へと意味がシフトしていったようです。
自分事はラクにしたい
自分事として苦境を受け止めるには、なにかしら痛みを伴います。
痛みを回避する方法ばかりを考えがちになります。
気持ちに余裕がない状況では、これ以上何をすればいいんだ!と逆に怒りが湧き上がってしまうかもしれません。
怒ることができれば、気持ちを外に出せるので、まだマシなのかも。
状況に飲まれて、もがいてももがいても這い上がれず、潰れてしまうことだってあるかもしれないのだから。
どうしたらいい、どうしたらいい?
自分1人で行き詰まってしまったら、誰かに頼るしかないですよね。
でも付け入る隙だらけの現状では、悪い人間が近寄ってくる可能性も高い。こわいこわい。
自分の人生を面白がれるほどの余裕があったなら。明日には明日の風が吹くと諸々先延ばしして、少し余裕を溜め込むことができたなら。
まずは、距離感があってもそのまんまを受け止めてくれそうなのは誰なんだろう?と考えることから始めてみようと思うのです。
そういう人が身近にいてくれれば、ほんとうにラッキーです。
その候補の1人に、カウンセラーがいるんですよね。
*地元の保健所などで、無料の相談を受けられる機会もあります。地域にある相談先(外部リンク)