成功した時は自分の能力によるもので、失敗した時は外的要因によるものだと考える傾向を「自己奉仕バイアス」と言います。
よくあることなので、へぇ、ちゃんと名前がついているんだーって思ったものです。
そう、これは誰しも持っている傾向です。ですが、その傾向が強い人は「失敗しても反省しない、謝らない人」として、困った人扱いされてるかも。
今回は「自己奉仕バイアス」について考えてみました。
成功したのは自分のおかげ
プロジェクトがうまくいくと、「私のおかげ」と意気揚々とした態度をとり、うまくいかなかった時にはスケジュールや予算、企画、他のスタッフが無能であることを理由にする人。
いますよねぇ、上司にも、部下にも、同僚にも。
いやいや、自分の中にも多かれ少なかれあるはずです。だって、これは人間の本質の1つなのだから。
自分が一生懸命やったことが成功したり評価されたら、そりゃ気分が高揚しちゃいます。
周囲もそれは分かっていると思います。
問題は、うまくいかなかった時に、自分で失敗の責任をとらない態度。そこで人間性が現れる。
うまくいかなかった原因は、特定の個人にあるのではなく、制御不能な状況的な要因にあるのが明確な時もあろうかと思います。でも、それを口にしてしまったら…、言い訳にしか聞こえなくなってしまいます。
人は自尊心を保つため、自分に都合のいい根拠ばかりに意識がいってしまい、感情がポジティブでいられるようにする仕組みが働くと言われています。
TVドラマでは、ロクになにもしていない上司が手柄を独り占めして、なにかあるとすべて部下に責任を押し付けるという展開をよく目にします。(現実社会でもあると思いますが…)
損害賠償などのケースでは、お互い自分に都合のいい根拠だけを出し合って争うことになり、結論が出たとしても、感情のしこりが残ってしまいます。
これは、日本人的美意識からすると、好ましくない振る舞いととられます。美意識というと大げさかもしれませんが、おとなげないと見られちゃいますよね。
アジア圏では「集団奉仕バイアス」傾向が強い
「自己奉仕バイアス」とされる、成功は自分のおかげだと自分の高揚感にひたってしまう傾向は、欧米地域の人に多く見られ、研究も盛んのようです。
スポーツ選手や会社経営者、アーティストなど、強いキャラクターを持っている人ほど、この「自己奉仕バイアス」が強いと言われています。自分の力でのし上がった!という思いが強いんですね。
反してアジア圏では、自らの成功・評価を人前では謙遜し、帰属する組織・チームの功績を称える傾向があるようです。
個人の賞賛よりも、他者との調和をよしとする文化的土壌、美徳感覚でしょうか。
自己奉仕バイアスとして働く意識が、帰属組織レベルで働くことを「集団奉仕バイアス」と言います。
成功した場合は、チームみんなで高揚感の共有ができますが、うまくいかなかった場合は、チーム以外に原因を探してしまうことになります。
自己奉仕バイアスが誰しも持っている心の傾向であるなら、集団奉仕バイアスと組み合わせて使うと、うまくいくかもしれませんね。
たとえば、成功の喜びとして一言求められたなら…
「成功という結果を得られたのは、私個人の力だけではありません。チームが一丸となって解決すべき困難を乗り越えていけたからです。」
自分一人への注目を避け、帰属する組織に、自己奉仕バイアスを転嫁させています。
そのほうが、これから先の活動においても、高揚感のあるチームで自分が活動できるという目算が働いているのかもしれませんが、そこまで深く考える人はそういないでしょう(笑)
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ではうまくいかなかった場合はどうでしょう。
自分の能力不足はともかく、帰属組織全体で失敗の共有をしてはだめですよね。
今回の失敗は私の責任です。失敗した原因を熟考し、新たな目標を掲げるので、みなさんの力を貸してください!
こうすると好感度は保たれます。自己の責任を認めた上で、帰属組織メンバーの士気も失わせない。
自分以外の何かに原因を探すことをせず、自分と自分以外のメンバーに対して、公平な視点にたった新たな達成目標を宣言すること。
「僕のせいだけじゃない」と叫んでみても仕方ありません。建設的にいきましょう!できる人っぽく!
自己奉仕バイアスは、自尊心を保ち、感情がポジティブでいられるようにする仕組みであるとされています。原因探しでなく、自尊心とポジティブを別の形で満足させることができればいいのです。
自己奉仕バイアスに捉われてしまったら、客観的な視点や、相手の視点を意識すべき、というアドバイスがネット記事には載っています。
客観的な視点と言われても、よくわからないですよね。つまりはどう立ち回れば好印象に転じることができるか、ということなんだろうなぁと思います。
デキる人は、手柄を独り占めしない
米国アカデミー賞授賞式をテレビで観ていると、受賞者のスピーチは、たいていアカデミー会員への感謝からはじまり、自分を支えてくれた家族やエージェントなどへの感謝で埋め尽くされます。
昔はそれがちょっと不思議でした。個人主義のアメリカで、同業者から賞賛されるほどの仕事をした人のスピーチは、自分の信念や仕事に対する思い入れなどが聞けると思っていたからです。
結局これは、先に書いた「自己奉仕バイアス」と「集団奉仕バイアス」のいいとこ取りマッシュアップなんですね。
自分1人だけでここまで来れたわけではない。多くの人の支えがあって、今の自分がいる。
だから彼らの名前を連呼して、感謝を伝える。
そうすることで、自分にはさらに協力者ができるだろうし、独善的な人ではないアピールにもなります。
米国で活躍する映画人だってそうなのです。
同調圧力の強い日本で、成功は自分のおかげで、失敗は自分以外の原因のせいって言い張るのは、あまりに頭がよくない行動パターンじゃないでしょうか。
自尊心が高いことを自覚している自己奉仕バイアス強めの人は、負のループに陥らないよう気をつけないとですね。
自己奉仕バイアスを言い表している「詩」
最後に、自己奉仕バイアスを語る際よく引用される、世界一のメンターと言われているジョン・C・マクスウェルの本にある「詩」を紹介します。
自己奉仕バイアスは、具体的にこういう思考のことだよ、というのがよくわかります。
『「人を動かす人」になるために知っておくべきこと』(ジョン・C・マクスウェル 著/渡邉美樹 翻訳 三笠書房 から引用)
人が時間をかけるのは、要領が悪いから
自分が時間をかけるのは、丹念にやっているから人がやらないのは、怠慢だから
自分がやらないのは、忙しいから言われていないことを人がやるのは、でしゃばりだから
言われていないことを自分がやるのは、積極的だから人がルールを守らないのは、恥知らずだから
自分がルールを守らないのは、個性的だから人が上司に受けがいいのは、おべっか使いだから
自分が上司に受けがいいのは、協力的だから人が出世したのは、運がよかったから
自分が出世したのは、頑張ったから
ヘイトスピーチのように、自分を正当化して、他人を卑下する思考は、気持ちのいいものではありません。
でも自分に自信のない人ほど、こういう思考パターンになってしまう傾向があるのです。
自己奉仕バイアスの強い人に向かって、「あなた、その考え方、直したほうがいいんじゃない?」と直球で言ってしまうと、自分を守るためにかえって頑なになってしまうかもしれません。批判された!と逆ギレする可能性もありそうです。
放っておきたい人かもしれませんが、距離をとれない立場の人だったなら、なぜそう思うのかじっくり話を聞いてあげられればいいのでしょうね。心理士でもない限り、考え方を変える手助けは難しいと思いますけど…。