うつ病になると、横になってるモノを縦にするのも面倒くさい、という気力のなさに襲われます。
そして行く着くのは、「生きてること自体が面倒くさい」という境地。
だからと言って、今すぐ死にたいわけではなく、そういう思いを延々と抱えながら生きているんです。
ところで、うつでなくても「生きてるのが面倒くさい」と思って生きてる人が増加しているそうです。
学校や会社に行くのが面倒くさい、恋愛するのが面倒くさい、子供を持つことが面倒くさい、そして引きこもって外界を遮断して生活する人も。
面倒くさい対象はさまざまですが、共通して言えるのは、人と会って話をするのが面倒くさいというもの。
そういう人っているよね、程度に認知はされているのですが、それが何千万人とかいう数字にのぼるとなると、単に内向的で怠け者、やる気がない人と片付けられなくなってきます。
うつ病にかかってからそうなったという人もいれば、なる前からそういう傾向があったという人もいます。
「回避性パーソナリティ障害」というのが、うつ病でない場合に、何事にも面倒だと感じてしまう人の精神医学的な捉え方のようです。
パーソナリティ障害とは
パーソナリティ障害って、度がすぎた自己中心的な言動で迷惑な人やモンスター●●、といった人たちのことを指すものと思っていましたが、定義としては間違ってました。
世間一般の人とは違う反応や行動をすることで本人が苦しんでいたり、周りが困っているケースに診断される精神疾患が、パーソナリティ障害と呼ばれるものです。
ものの捉え方や考え方や感情、衝動コントロール、対人関係といった広い範囲のパーソナリティ機能の偏りから障害(問題)が生じるとのこと。心理学的な意味のパーソナリティとも、一般的な意味の「個性」に近いパーソナリティとも性質が異なるものです。
これを「パーソナリティそのものが病的である」と解釈したり、いわゆる「性格が悪いこと」と混同したりしてはいけません。
なるほど。
私と接点のあったパーソナリティ障害の人は、「境界性パーソナリティ障害」(逆ギレやわざと人を怒らせるなどで人間関係が不安定で衝動行為が特徴)と、「自己愛性パーソナリティ障害」(自分は特別で偉いのだからそういう扱いをしろと周りに求める)の2パターンでした。だから、パーソナリティ障害=迷惑な人・性格に問題のある人という先入観がありました。
今回話題にしている「回避性パーソナリティ障害」は、「不安性パーソナリティ障害」とも呼ばれる、自信のなさや不安、緊張から物事を避けて生きていく思考や行動をとってしまうタイプです。
私の先入観からすると、一緒に暮らす家族には心配をかけるけど、他人に当たったり振り回さないこのタイプもパーソナリティ障害なの?と思ってしまいます。
ちゃんとパーソナリティ障害の定義を知ってから「回避性パーソナリティ障害」の説明を見ると、なるほどと。
カウンセリングによってストレスや思い込みの正体を解きほぐし、改善されていくことができる精神的な疾患状態ということなんですね。
人との接触に必要以上なエネルギーを使ってしまう
うつ病は、脳のエネルギーが低下した状態です。
心理的ストレスや緊張によって、すぐにエネルギー切れを起こし、寝込んでしまうこともあります。疲れやすいのです。
自分の状態を理解していない人と会うこと、話をすることは、せめてその間だけでもちゃんとしているように見せようという意識が働いてしまい、どっと疲れが出てしまいます。
自然、そのような状況をできるだけ避けようという意識が生まれてしまいます。
仲の良かった友人からのお誘いでも、ついお断りしてしまうことも。
うつであることを素直に伝えたら、「良くなったらまたね!」と言ってもらえたとして、それが2、3ヶ月後でなく、下手すれば何年も先になることを理解してもらうのは難しいかも(苦笑)
うつになる以前から、人付き合いが苦手、一人でいる方が楽、という人がいます。私、そのタイプなんです。
人との接触を遠ざけるようになったのは、うつになってからという人は、病気が治ればまた人付き合いができるようになるはずです。
ではうつになる前から、一人が楽という場合は、どうなんでしょう。
一人が楽という原因は何かということですよね。
他者と触れ合うことで、自分がたいした人間でないことが露見してしまうのを恐れているから?話の内容についていけないかもしれない不安があるから?人から頼まれたり期待されたりすることに対し、きちんとリターンしようと思うのがプレッシャーだから?
つまり自分に自信が持てず、期待通りの自分の姿を展開できないことで、傷つくことを恐れているというのがベースにあるんでしょうね。
好かれているという確信が持てないと、その人との関係を持ちたいと思わないし、批判や拒絶に対してまったく免疫がないんです。
回避性パーソナリティ障害というのは、まさにそういう人のことのようです。
心の底では、人との触れ合いを求めていながら、恐れがあるためにそれができない、というジレンマを抱えているという障害。
反対に、生まれつき他者への共感に興味がなく、求めないことで自分のバランスをとっている人もいます。
他者の存在を不快に感じてしまうのです。仲良くなるにはハードル高いですね。
その場合は、回避性パーソナリティ障害と似てはいても、「回避型愛着タイプ」と区分されているようです。
実は生まれつきそうだったというワケではないそうです。幼少期から青年期にかけてなにかがあって、そうなった。
たいていは、親の接し方に問題があったようなのです。
悪気があってそうされたのではなく、親としては良かれと思っていたり、何も考えずされてたことも、自分にとってはプレッシャーであったり自己否定されたりと。思いのギャップが根源にあるとされています。
子供の頃、同年代と遊ぶことで人付き合いを学ぶ
私の場合、親がどう接してくれたかについては、問題があったようには思えないんですよね。
なにもかも親が決めてくれて、自分で何か決める機会がなかったわけではないし。度を越して叱られたり、人前で恥をかくようなことをされた覚えがありません。
原因は、体の弱い子供だったことだと思います。
学校を休みがちだったし、学校帰りにクラスの子と一緒に外で遊ぶことがなかったから。これはもうはっきりしてます。
他者とのコミュニケーションの取り方、適切な距離感の取り方を身につけていく時期に、それができなかった…。結果、その後人付き合いに緊張感を常に持ってしまうようになりました。
不器用な生き方しかできない自分というコンプレックスが、健康じゃない自分とMIXされ、なんとも屈折した人間ができあがっていました。
他者とのコミュニーションは、高校時代以降、意識的に身につけていったように思います。
当時は、自分の存在感を示すために、エキセントリックであることをアイデンティティにしていました。
アンダーグラウンドなこと、アウトサイダーな人物や考え方に傾倒しがちでした。
考えてみれば、生きにくさを自ら選んでいったようにも思いますが、それ以外の選択肢があったようにも思えないので、今に至る伏線の1つなんだなと今では思ってます。
大人になってから、自分と同じように、子供の頃に体が弱くて、人とのコミュニケーションに苦労したって人と会う機会が何回かありました。
この人とはなんでこんなに波長があうのだろう?と思ったら、そういう背景があることがわかり妙に納得。
「そういう子供ってさ、意識が内側に向かいがちで、インナーワールドが発達するよね。その分実際の人との関係性をうまくするのが下手でさ。」
体弱かった経験を持つ人は、口を揃えてそう言います。まったく同感です。
体が弱い子かどうかでなく、今の子供って、学校から帰っても外でクラスの子と遊ぶケースが少ないじゃないですか。塾で忙しいとか、ゲームしているとか。
ちょっと心配になります。
回避性パーソナリティ障害の人が増加傾向にあるってのは、そのあたりに原因があるのかな、なんて。
碇シンジ君の場合、私の場合
回避性パーソナリティ障害は、人付き合いだけでなく、自分にとってハードルと感じるものから逃げて生きる傾向があります。
パッと思いつくのは、アニメ「エヴァンゲリオン」の碇シンジ君が言う「逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ」というセリフ。
シンジ君は回避性パーソナリティ障害の代表例みたいなものらしいです。
あの作品とこのセリフに強い共感を得て、シンジ君が誰なら心を開いていたかを思い起こすと、ああ、なるほどねと理解しやすいのではないでしょうか。
テレビ版「エヴァンゲリオン」のラストは、前代未聞な展開の問答劇でした。
自分はここにいてもいい存在なんだと実感できることで、周囲の人からも受け入れられるというラスト。
回避性パーソナリティ障害は、カウンセリングによって障害を克服していけるもののようです。
シンジ君のように、自分の存在意義や価値を他者評価に依存するのではなく、自分で決めていくことで、自分の人生を切り開いていける。
人に頼ることができるようになって、人との関係性を築いていくことができるようになると。
また、「逃げ道」を常に用意しておくことが、安心して前に進めることができる秘訣だそうです。「逃げるは恥だが役に立つ」とはまさにその通りなんですね。
言葉にするのは簡単ですが、理由があって今の自分になってしまっているものを、また多くの時間をかけて軌道修正していくのは大事業です。
みんなに受け入れられて、人見知りしない人間になれれば超御の字ですが、そこまで望んでないのが正直なところ。
ただ人との接触を、必要以上に避けることなく、コミュニケーションに緊張しすぎず、自分の人生がプラスになっていければいいな、という程度の望み。
人付き合いが悪い私であっても、付き合ってくれている人たちをまずは大切にしようと思います。
うつを病んで学んだことといえば、低いハードルの目標をクリアしていくことで、自分に自信を持つようになることです。あまり欲張らずに、一つ一つ超えていきたいです。