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自信のない時は、誰かの状況を想像してなり切ってみる

自信のない時は誰かの状況を想像してなり切ってみる

プレッシャーのかかる場面が目前に迫っていたり、テンパっている状況の最中にいる時、あなたはどんな風に自分を奮い立たせるでしょう。
自分に「頑張れ!」ってハッパをかけて立ち向かいますか。
僕にはうまい具合にそれができません。
「頑張れ!」って自分に言ってみたところで、言葉が素通りして、頑張りきれない自分だけが取り残されてしまうのです。
でも、自分なりになんとかやっていく術を身につけています。
今日はそれについて書いていきます。

デザインに煮詰まった時は、アニメの作画監督になった気になる

デザインが自分で納得できるレベルにまだ仕上げられない…。まだまだやれることを試して、最善な形にして、期待を超えたものにして提出したいのに…。でも時間がなさすぎる。

仕事でテンパってて、最後までちゃんとやりきれるか自信が持てないような時、僕は時々、他の世界で生きている人のことを想像して、その人になりきることがあります
たとえば冒頭のような状況の時、テレビアニメの作画監督になったつもりによくなります。
アニメ制作にはいろんなスタッフがいるのは知ってますけど、僕がなぞるのはたいてい作画監督さんなんです。

毎週放送されるテレビアニメ。とくに深夜帯の作品は、一昔前なら考えられないくらいのクオリティで、細部までの作り込みにただただ感心してしまうことしきりです。

そんなクオリティとクリエイティブを、時間のない中やりきっている作画監督さんって、どんな心理状態なのだろう?と想像してみます。
まだまだ埋まっていないカットがたくさんある。あがってきた作画は納得できず修正したい、でも時間がない、どうしたらいい?ぎりぎりまでやりきれることをやるしかない。間に合わせるしかない!
そうやってアニメの作画監督になったつもりでいると、自分に他人を憑依させたような状態になって、ただ「頑張れ、自分」と言ってるよりも、具体的な気持ちの持ち方がセットできるのです。

憑依っていう言い方はちょっとおおげさかな。先に書いたように、なりきるという方があっているかもしれない。
自分は自分として存在しているのだけど、自分でない人間の思考や行動セットで動いているという感じです。演じているって感じかもしれません。魔法のことではありません(笑)

プレゼンの前は、ハズキルーペのCMの渡辺謙のような気分になりきったり、大きな会場ではじめてライブを行うアーティストの気分を想像して、そこに自分を乗せてみる。

役者がどのように役を演じているか、人によって手法はさまざまだと思います。
役の人物になりきる。セリフや出番のない部分でも、プライベートや生い立ちを設定したり、普段の生活を想像した上で、役に命を吹き込むってことはあるでしょう。
もしくは、どういう画が欲しいに応じて、その場その場で役を浮き立たせるテクニックを駆使するという人もいるでしょう。

どちらにしても、自分という存在だけでは到達できない地点に、他人の存在を融合させて、ストーリーの中を生きる波乱万丈な人物を成立させているんだろうなぁって想像しているわけです。

なりきりをするための対象を想定する

たぶん、こういう「なりきり」は女性の方がうまいのかもしれないですね。
こういう場では芯の強い女性を演じ、ここではかわいい女性を演じる。それは計算高いというよりも、言葉のボキャブラリーが豊富な人のように、いくつもの顔を場にあわせてアウトプットしているだけなのかなと。

ボキャブラリーを増やすには、本を読むことが大切です。
なりきりをやっていくには「これを作っている人は、どういう思いをしてきたろう」とか「この大舞台でパフォーマンスをする直前、この人はどんな精神状態なんだろう?」なんてことを色々想像してみることです。想像?妄想?まぁ、そういう感じです。

こういう人だったらこういう言動をするんだろうな、という想像をストックしておく。
テレビのドキュメンタリーやインタビューで得た情報を元に、自分と接点のあるような考え方を想像にプラスして、架空の人物の細部を作っていきます。
例えば、香取慎吾さんが「大丈夫、自分にはできる!って何度も自分に言い聞かせてる。」と以前テレビ番組で語っていたのを覚えています。大規模なコンサートにしてもバラエティやドラマであれだけの実績を成し遂げてきた人だって、そうやって自分に言い聞かせているのだ、というのはしっかりインプットしておきます。

大切なのは、あくまで起点は自分だってこと。
本当に役を演じる役者ではないので、あまりに自分と異なる人物にはなりきれません。

たとえば、イチロー選手を演じようと思っても、格からして違いすぎて、なりきれない感が強すぎます。影響を受ける発言をいくつもされていますが、努力の積み重ねあってのことですから、ピンチの時の頓服のようになりきるには、スケールが違いすぎるのです。
かえって特定の人物よりも、その職業・立場にいる架空の人物とした方が、自分が中に入る余地があってやりやすいかと思います。

もちろん、具体的な人物像を想定した方がなりきりやすい、という人もいらっしゃるかとは思います。
日頃からファンしている人物がいれば、細部まで情報を知っている分、いつでもその人になりきれるという利点はありますね。

なりきりの良い点って、芯となる部分は自分だけど、行動原理となっているのは想像上の他人なので、諦めや失敗は想像上の他人のせいにできるってことです。ずるいかもしれませんが。

「こういう時、あいつならどうするだろう?」という具体的な人物からの視点に頼ることもあります。
かつての同僚で、若くしてガンで亡くなった人のことを、そんな風に蘇らせることがあるんです。
きっともっと突き詰めてやりきるだろう、と思う時もあれば、ここまでやってうまくいかなければあきらめるだろうという引き際を決めるきっかけになることもあります。

もしかしたら、現実逃避なのかもしれません。
百害あって一利なしの「他人と自分との比較」の変化球版といえなくもないです。「比較」でなく「同化」ですけど。
どう定義づけするかは別として、大人をしていくなかで身につけた危機対処法であることはたしかです。

本当はお気楽なキャラでいたいのだけど

本体の僕は、真面目でつまらない男です。
もっとお気軽に生きてる感じを漂わせた大人の男になれたなら。それでも人から好かれる愛されキャラであったなら。と思うことがあります。
たとえば、所ジョージさんのような感じというか。

だったらなりきりで、ずっと所ジョージさんのように生きていけばいいじゃんと思うかもしれませんね。
でもずっとなりきるというのは無理なんです。
やっぱりなりきりは、ここぞ!という時の頓服みたいなものなんです。せいぜい3時間程度?それ以上になると、自分に無理がかかってどんどんボロが出てきてしまう
それになりきりの術を使うような場面が続くと、自分自身がすり減って疲れ切ってしまいます。
やはり、ほどほどがいいですよね。

自分の基本は変えず、服を着替えるように他人を載せ換えるという方法。
うつがちょくちょく顔を覗かせる、自分のような人間にもできる術なので、お試しください。

これも認知行動療法の1つなのかな。
まぁ、考え方でいろいろ解決できることはあるから、その1つかもしれないですね。

ABOUT ME
二ゴ
うつ病になったのは10年前。それから復職、再発の休職を繰り返し、気づけばもう50代。元の自分に戻るのではなく、別の新しい自分にならなきゃともがいて生きてる最中ですけど、同じようにシンドイ思いをして生きてる人にむけて、少しでも励みになりたいとブログを始めました。